「居場所」にこだわる理由。
HI-FIVEの紹介には、「居場所」という言葉を多く使っています。
これにまつわる、代表かわけんのエピソードをご紹介します。
実は僕は、大学時代、”パニック障害”という病気で、
授業にほとんど出られない時期が続きました。
自動車通学で片道1時間ほどのところに大学がありました。
「よし、今日こそ、授業を1時間でも受けて帰ろう。」
と、家を出る時は体調も問題なさそうで、(今日なら行けそう)と心では思っているのですが、
大学が近づくにつれ、なんとも説明しがたい不安感がおしよせます。
それにともなって、心臓もドキドキし、呼吸が荒くなり、運転ができなくなるため、
そうなりそうになったら、道路脇やコンビニに車を止めます。
数分で落ち着くことが大半なのですが、一度その”パニック発作”が出てしまうと、
どうしても大学にいくことができませんでした。
何度も、大学の門の前まで行って、そこでUターンして、家に帰ったことがありました。
食堂に行くことが出来なかったので、昼食として家から持っていった弁当や、途中で買ったパンなどは、
家で1人で食べるような毎日でした。今から思い出しても、あの時間がつらかったなぁ。
そんな風だったので、授業にはほとんど出られませんでした。
(このままじゃ、単位数がたりない。卒業できない。)
僕は行動にでました。
休学することにしたのです。
休学している間は、「大学に行かなきゃ。」というのは無くなりましたが、
それでも、どんどん自分が取り残されているようで・・・家にいても心が晴れませんでした。
車やバイクが大好きだったので、夜になって人目につかない時間を選んで、
あっちこっちあてどなくドライブ、ツーリングするなどして、少しずつ充電しました。
行き先は六甲山の夜景をみたり、阪神高速の湾岸線を走ってみたり、
けれど一番多く行ったのは、大学でした。
夜の大学は、ところどころ電気がついた部屋はありますが、
構内を歩いている人はほとんどいません。
「夜だったらこれるのにな。」
そんな風に、少しずつ、自分を大学に”慣れさせよう”としていたのかもしれません。
そして、休学後の最初の授業の時に、とある教員とであいました。
・自分には、他の学生と同様に授業にでることが出来ない場合がある。
・パニック障害という病気がある。
・だけど、勉強はしたい。大学でもっと色々なことを学びたい。
と、その授業の担任の教員に伝えました。まだ20代の大学の中ではかなり若い教員でした。
「そうなんやね。よし、わかった。僕の授業には無理にでなくていいよ。その代わり、僕の研究室にきなさい。」
言われるがままに、僕はその教員の研究室に行きました。
大学の研究室・ゼミ室というのは、言ってみれば中学・高校の部室のようなところでしょうか。
大学には職員室はなく、教員一人一人の部屋があります。海外の小中学校でもそういうところがあるそうです。
それを僕の大学では研究室、と呼んでいました。
大学では専門分野のことを学ぶため、その分野を専門に研究している教員が、
その分野を学びたい学生を担当します。それをゼミと呼びます。(呼び方や仕組みは大学によって異なります。)
そして、そのゼミに所属する学生が研究やレポートの作成などに使うのがゼミ室です。
僕の大学では、ゼミに配属されるのは3年生からでしたが、
他にもちらほらと、1年生、2年生のうちから興味がある研究室・ゼミ室に出入りする人はいたみたいです。
その教員の研究室とゼミ室とはつながっていて、入り口はゼミ室、その奥に研究室がある形でした。
「ここには、いつ来てもいいし、どれだけ居てもいいし、ここにある本や論文はどれも読んでいいよ。
気分が悪くなったり、授業に出れなくって居場所がなったりしたときには、ここを使ったらいいよ。」
僕にとって、はじめて大学で「居場所」が出来た瞬間でした。
ゼミ室では、みんながそれぞれバラバラのことをしています。
同じ研究分野といっても、研究の内容も違えば、方法も違うし、研究室に来る時間も帰る時間も違います。
だから最初にその教員に、
「この人、1年生のかわけんね。ちょこちょこ研究室に来ることになったけど、不審者じゃないから大丈夫!
どんな研究してるか教えてあげてもいいし、逆にプレゼンをかわけんに見てもらってもいいし。
今日からうちの(非正規)ゼミ生です。ってことでよろしく!」
と、案内してもらっただけで、そこがとっても「居心地のいい、安心できる居場所」になりました。
週に1度程度、研究の進捗報告を”ゼミ”として行います。
1年生だった僕にとって、当時の4年生や大学院生がやっている研究の話は、とても興味深いものでした。
「居場所」ができたことで、少しずつ、大学に行く日が増えました。
出られる授業も増えていきました。
ゼミで先輩が話していた内容が、授業に出てくることもありました。
卒業するまで休学期間を含めて6年間かかりましたが、あの「居場所」があったからこそ、
途中で退学することなく、色々な人に協力してもらって、卒業することができたのだと思います。
そして、その教員こそが、当時まだ珍しかった、
「発達障害児とICT活用」
を研究している人だったのです。
発達障害については、初めて聞くことばかりで、
「そういえば、クラスにこういう子がいたけど、もしかして・・・?」
「僕らの頃は勉強が苦手ってひとくくりにされてたけど、一人一人にはそういう理由があったのか!」
と。驚きの連続でした。
「授業がだめだったら、ここに居たらいいよ。」
それまで、授業に出られなかったら、泣きながら家に帰って布団をかぶるしかなかった僕にとって、
どれほどありがたい言葉だったでしょう。
人は、「居場所」しかも、「安心できる居場所」があるというだけで、
さまざまな心の中のモヤモヤが、小さくなることがあるんだと思っています。
そしてその「居場所」から、新しい分野や新しい物事への道がひらけることだってあるはずです。
HI-FIVEを作ったのは、あの「ゼミ室」みたいな場所を作りたかったからかもしれません。
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